大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

熊本地方裁判所 昭和49年(ヨ)31号 決定 1974年6月27日

申請人

八木シヅ子

申請人

小川フイ

右両名訴訟代理人弁護士

後藤孝典外一名

被申請人

チツソ株式会社

右代表者

島田賢一

右訴訟代理人弁護士

村松俊夫外七名

主文

一  被申請人に対する本決定の送達の日から、別紙目録記載の水俣病認定申請に対する態本県知事の処分(認定もしくは棄却、ただし保留を除く)があるまでの間、被申請人へ申請人ら各自に対し、次のとおりの費用の負担および金銭の支払を仮にせよ。

1  医療費、温泉治療、鍼灸治療費、マツサージ治療費および通院のための交通費について左記支給基準による費用の負担。

支給基準

(一)  医療費 申請人らが水俣市および出水市の医療機関で水俣病もしくはそのその疑いにかかる疾病について医療をうけた場合における医療費(公害健康被害補償法にいう「療養の給付」に必要な費用)。

(二)  温泉治療費 被申請人の指定する旅館の利用券(年間あたり、宿泊利用券四枚、日帰り利用券三二枚。ただし、日帰り利用券五枚は宿泊利用券一枚にかえることができる)。

(三)  鍼灸治療費 被申請人の指定する水俣市および出水市の鍼灸師による鍼灸治療代。

(四)  マッサージ治療費 被申請人の指定する水俣市および出水市のマッサージ師による年間二〇回以内の治療代のうち一回につき三〇〇円。

(五)  通院のための交通費 交通機関による通院のための交通費のうち一日につき一二〇円。

2  昭和四九年六月分から、毎月末日限り、一か月金二〇、〇〇〇円の割合による金銭。

二  申請人らのその余の申請を却下する。

三  申請費用は被申請人の負担とする。

理由

第一申請人らの申請の趣旨および理由別紙申請の趣旨変更申立書のとおり。

第二当裁判所の判断

一(被保全権利について)

1  疎明資料によれば、被申請人水俣工場が昭和七年から同四一年五月まで、メチル水銀化合物を含む廃水を同工場外に慢然放流した過失により、水俣湾およびその周辺海域の魚介類の体内にメチル水銀化合物が蓄積され、その魚介類を長期にわたつて多量に摂食した地域住民が多数水俣病に罹患したことが一応認められる。

2  疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。

(一) 申請人八木シヅ子は昭和二〇年ころから同三五年ころまで水俣病多発地区の水俣市湯堂に住み、すぐ近くの海でとれたアサリ等の貝や魚を毎日のように食べていた。同人には現在口周辺および四肢末端の知覚障害、共同運動障害、軽度の構音障害・視野狭窄・聴力障害といつた水俣病の主要症状がみられるほか、下肢の固有反射亢進、粗大力低下、手指の変形、軽度の手の振戦・流涎等の水俣病の症状がみられ、これらの症状のうち四肢の知覚障害、運動障害は他の合併症(頸椎変形症)によるものとみられないではないけれども、口周辺の知覚障害、視野狭窄、振戦等のその余の症状はこれでは説明がつかない。

(二) 申請人小川フイは昭和二九年ころから水俣病多発地区の水俣市出月に住み、近くの海でとつたアサリ等を毎日のように食べ時々は魚も食べていた。同人には現在水俣病の主要症状である末梢性知覚障害、共同運動障害、視野狭窄、聴力障害がみられるほか、手指関筋変形、知的機能障害、軽度の眼球運動異常・発言不明瞭等の水俣病の症状がみられる。なお、昭和四六年八月熊本大学水俣病研究班の検診をうけ、後日「有機水銀の影響が認められる」旨の通知をうけたことがある。

右認定の事実関係から推せば、申請人八木シヅ子および同小川フイは、現在水俣病に罹患している蓋然性が認められる。

3  してみると、被申請人は申請人らに対し、前記疾病による損害につき一応賠償義務があるといわなければならない。

二(保全の必要性について)

1  疎明資料によれば次の事実が一応認められる。

(一) 水俣病は現代社会がはじめて経験した企業による大規模な地域住民の生命もしくは健康に対する侵害であつて、その根本的治療方法はいまだ確立されていないが、現在のところ、対症療法のほか、入、通院による精密検査を経たうえでの総合的治療をうけることが必要とされ、また、鍼灸やマッサージといつた理学療法あるいは温泉療法も有効な場合があるので、これらもとり入れ、また、漢方薬、保健食品等も適宜試み、さらに、前記医療等の効果を高めるために栄養補給をすること等が必要とされている。

(二) 現在、被申請人は、昭和四八年七月九日水俣病患者東京本社交渉団団長田上義春と被申請人代表者島田賢一との間で調印された協定書に基づき、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法により熊本県知事に水俣病と認定された者(以下認定患者という)に対して、慰謝料(一六、〇〇〇、〇〇〇円、一七、〇〇〇、〇〇〇円および一八、〇〇〇、〇〇〇円の三ランク)、治療費(公害健康被害補償法における公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法上の医療費および医療手当に相当する給付の額)、介護費(公害健康被害補償法における公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法上の介護手当に相当する給付の額)、終身特別調整手当(二〇、〇〇〇円、三〇、〇〇〇円および六〇、〇〇〇円の三ランク)、葬祭料(二〇〇、〇〇〇円)を支払つており、別に被申請人の設定した三〇〇、〇〇〇、〇〇〇円の基金(患者医療生活保障基金)の果実を温泉治療費、鍼灸治療費、マッサージ治療費および通院のための交通費(以上いずれもほぼ主文のとおりの内容)等に充てている。

右各事実によれば、申請人らの前記疾病の治療のためには、前記(一)の各費目のうち医療費、温泉治療費、鍼灸治療費、マッサージ治療費および通院のための交通費として、少なくとも右認定患者がうけるのと同じ程度のものは必要であると考えられ、また、漢方薬および保健食品等の購入費、栄養補給費、それに前記医療等をうけるのに必要な雑費として、一か月二〇、〇〇〇円が必要であると考えるのが相当である。

2  疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。

(一) 申請人八木シヅ子は現在一人暮しで、収入は厚生年金が年額二四〇、〇〇〇円、国民年金が年額五〇、四六〇円、家賃収入が月額一、五〇〇円のみであり、また、申請人小川フイも一人暮しで収入は生活扶助および住宅扶助が月額一五、四七二円のみであつて、いずれも衣食住の生活自体にも困窮しており、ましてや前記のよう総合的医療等をうけることは到底できない状態である(申請人小川フイは医療扶助をうけているけれども、これによつても前記のような医療をうけることは期待できない)。

(二) また、申請人らはいずれも別紙目録のとおり熊本県知事に対し水俣病認定申請をしているが、昭和四九年一月現在同知事の認定を待つている人は二、〇〇〇名を超え、今後同知事の処分が従前の進捗状況をたどる(もつとも現在、環境庁と熊本県の委嘱による認定業務促進検討委員会が設けられ、促進案を検討中であるが、その具体的な促進方法は明らかでない。)とすると、申請人八木シヅ子は少なくとも一年先、申請人小川フイにいたつては三年先にようやく熊本県知事の処分がなされることになり、申請人らはこれによる前記医療等も早急にはうけられない状態である。

3  以上によれば、申請人らは前記疾病の治療のため、少くとも、被申請人に対し、医療費、温泉治療費、鍼灸治療費、マッサージ治療費および通院のための交通費として、主文第一項1の支給基準のとおりの各費用の負担と、漢方薬、保健食品等の購入費、栄養補給費および医療雑費等として、一か月二〇、〇〇〇円の支払を求める必要性があるといわなければならない(申請人小川フイについては、現在程度の生活、住宅および医療の各扶助が右金銭の支払によつて変更または取消にならないことを前提として判断した。)。

三(結論)

よつて、申請人らの本件仮処分申請のうち主文第一項および第二項に対応する申請部分は理由があるから、これを認容することとし、その余の申請部分については理由がないので却下すべく、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書に従い、主文のとおり決定する。(糟谷忠男 中野辰二 平弘行)

目録

申請人  生年月日  疾病の名称  受付日付

八木シヅ子 明治45年1月25日 水俣病 昭和48年5五2日

小川フイ 明治39年11月20日 水俣病 昭和48年7月4日

申請の趣旨変更申立書

申請の趣旨

一 債務者は各債権者に対して、各債権者が水俣市・出水市内に所在する医療機関により水俣病に係る疾病について医療をうけたときはその費用全額を仮に支払え。但し、医療とは、診察、薬剤又は治療材料の支給、医学的処置、手術及びその他の治療、病院又は診療所への収容、看護、移送をいう。

二 債務者は各債権者に対して、温泉治療費、マッサージ治療費、鍼灸治療費及び通院交通費を別紙支給基準に従い仮に支払え。

三 債務者は各債務者に対して、毎月末日限り、一ケ月金三〇、〇〇〇円の割合による金員を仮に支払え。

四 申請費用は債務者の負担とする。

との裁判を求める。

申請理由

一(一) 債務者水俣工場は昭和七年以降メチル水銀をふくむ有毒なアセトアルデヒド工場廃水を水俣湾海域に故意または過失により漫然放流し続け、これが蓄積濃縮された魚貝類を摂食した水俣湾周辺漁民に広汎に悲惨な水俣病患者を大量に発生させたことは疎甲第一号証によつても明らかである。

(二) 債権者らはいずれも水俣湾周辺に居住し右魚貝類を摂食し続けたことにより水俣病に罹患し、身体を損傷され、その生活までも破壊されていることは提出済み疎甲各号証により明らかである。

二(一) 昭和四八年三月二十日熊本地方裁判所は昭和四四年(ワ)第五二二号等損害賠償請求事件につき、水俣病は債務者会社の工場排水に起因したものであり、かつ債務者会社に過失責任ありとして、原告の請求を全面的に認める判決を下した。

(二) 債務者は右判決後の昭和四八年七月九日水俣病患者東京本社交渉団との間に疏甲第三三号証協定書を作成調印し、その協定書の中で、同患者に対し、それまで「患者の発見のための努力を怠り、現在に至るも水俣病の被害の深さ、広さは究めつくされていないという事態をもたらした」ことを認め、更に「これら潜在患者に対する責任を痛感し、これら患者の発見に努め患者の救済に全力をあげること」を約束した。

(三) 更に債務者は東京本社交渉団に対し、疎甲第三三号証において左記の通り、協定本文及び治療費、終身特別調整手当(年金)、温泉治療費、鍼灸治療費、マッサージ治療費、通院費などについても約束した。

<協定本文>

本協定内容は協定締結以降認定された患者についても希望する者には適用する。

<協定内容>

チツソ株式会社は患者に対し次の協定事項を実施する。

一 治療費

公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法に定める医療費及び医療手当(公害健康被害補償法が成立施行された場合は、当該制度における前記医療費及び医療手当に相当する給付の額)に相当する額を支払う。

二 終身特別調整手当

Aランク  一月あたり 六万円

Bランク    〃 三万円

Cランク    〃 二万円

手当の額の改定は、物価変動に応じて昭和四八年六月一日から起算して二年目ごとに改定する。ただし、その間、物価変動が著しい場合にあつては一年目に改定する。物価変動は熊本市年度消費者物価指数による。

三 患者医療生活保障基金の設定

チツソ株式会社は全患者を対象として患者の医療生活保障のための基金三億円を設定する。基金の運営は熊本県知事、水俣市長、患者代表及びチツソ株式会社代表者で構成する運営委員会により行なう。

基金の果実は次の費用に充てる。

おむつ手当   一人月一万円

介添手当    一人月一万円

患者死亡の場合の香典 一〇万円

胎児性患者就学援助費、患者の健康維持のための温泉治療費、鍼灸治療費、マツサージ治療費、通院のための交通費

その他必要な費用

三 債権者らはいずれも水俣病に罹患していることが著明であるのに疎甲各号証により窮える如く、県、審査会の認定作業の遅滞により、当分認定のための審査をうける見込みも立たず、現に日々の治療費、薬品代、通院費、生活費等にこと欠いている有様であることは提出済疎甲各号証により疑う余地がない。

四 ところで、このような場合「潜在患者に対する責任を痛感し、これら患者の発見につとめ、患者の救済に全力をあげる」ことを明言した債務者において、まず任意に本件仮処分申請の趣旨記載程度のことは履行すべきであるのに、債務者は殊更に債権者らが当面救済の必要すらないかの如き主張を依然続けているのは到底許すことができない。とりわけ、債権者らの日常生活に至るまで監視し続け、少しでも債務者の主張に役立つと思えば、これを著しく歪曲した上利用するが如き態度は言語道断と言うほかなく、到底潜在患者に対する責任を痛感している態度とはいえない。債務者は己が水俣病の「加害者」であることをまず肝に銘ずべきである。

五(一) 債権者らはいずれも従前の申請の趣旨通りの生活費、治療費を最低限必要としているのであるが、特になによりもまず、栄養費、医療手当及び各種治療費等、既に認定された水俣病患者が債務者から給付をうけているのと同様の給付を、債務者から仮に受けることが緊急に必要であるので、申請の趣旨を変更する次第である。

(二) 債権者らの債務者に対する仮の地位たる権利関係は昭和四八年七月九日認定患者と債務者との間で調印された協定書疎甲第三三号証によつて特定するのが最も便宜であると考える。

(三) 同協定書によれば、最低のCランクに位置づけられる患者であつても毎月二万円の特別調整手当が支給される。また別に治療費の一つとして、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法に定めると同額の医療手当が支給されることになつているが、同法の施行令第四条によれば、この医療手当の額は一月につき四、〇〇〇円から七、〇〇〇円である旨規定している。

更に疎甲第一六四号証細目協定書によれば、特別調整手当は物価指数が前年比五%を上まわるときは一年目にこれを改訂増額する旨約束されていること及び疎甲第八九、九〇、九一号証で明らかな通り、患者は多かれ少なかれ、市販の薬品を購入していることを併せ考えると、債権者らの栄養費並びに市販の買薬費など(現物支給によつては代替しえない)現金出費を余儀なくされるものに充てる為に毎日金三〇、〇〇〇円の給付が当面妥当であると考えられる。

(四) 認定患者が水俣病に係る疾病について医療をうけるときは、疎甲第八二号証の証明書を携帯提示することによつて医療の現物支給が行なわれていることから、債権者らについても医療費については直接の現物支給が最も妥当であろう。また債権者らが水俣病に係る疾病(疎甲第一六二号証参照)について医療(前記法第四条一項から、診察、薬剤又は治療材料の支給、医学的処置、手術及びその他の治療、病院又は診療所への収容、看護、移送をいう)をうけた際、債務者から医療機関への医療費の支払いについて技術的な困難はさしてないと思われるが、本件においては医療機関をその所在地によつて限定しておくのが便宜であろう。

(五) 認定患者に対する温泉治療費、マツサージ治療費、鍼灸治療費、通院交通費については、疎甲第四七、一六三号証の通り、支給方法、限度(鍼灸については限度の定めはない。疎甲第一六一号証照)が明確に規定されているので、極めて低額すぎるきらいがあるが、本件においてもこれに拠るのが最も便宜であると考えられる。

支給基準

一 温泉治療費

債務者は債権者に対し、債務者の指定する旅館の利用券を、年間当り、日帰り利用券三二枚、宿泊利用券四枚(但し、日帰り利用券五枚は宿泊利用券一枚にかえることができる)の割合で支給する。

二 鍼灸治療費

債権者が債務者の指定する水俣市・出水市内居住の鍼灸術師において治療をうけて治療代の支払をした後、その鍼灸術師の発行する領収証を債務者に提出するとき、その都度債務者はその金額と同一の金員を債権者に支払う。

三 マツサージ治療費

債権者が債務者の指定する水俣市・出水市内居住のマッサージ施術師において治療をうけて治療代の支払をした後、その施術師の発行する領収証を債務者に提出するとき、その都度債務者はその金額と同一の金員を債権者に支払う。但し回数は年間二〇回までとする。

四 通院のための交通費

債権者が診療のため交通機関を利用して通院したときは、一日につき金一二〇円を、債権者が請求する都度支払う。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例